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今回から、ANATOMICAの定番スニーカー「WAKOUWA」を5回シリーズで取り上げます。

ANATOMICAで売り出しているスニーカーがなぜ黒いラバーソールなのか、そしてなぜWAKOUWA(ワクワ)という名前になったのか、、、

 

既にWAKOUWAのファンの方も、「いつかは欲しい」と興味を持って頂いている方も、是非ご一読頂き、このスニーカーの“魅力”を感じて頂ければと思います。

 

 

事の始まりは2007年・春、弊社代表・寺本とANATOMICA PARIS代表ピエール・フル二エ氏が日本製の「618オリジナルジーンズ」を完成させ、次なるアイテムを模索している頃。

 

寺本はパリのある通りでピエールに質問をしました。

 

 

「あなたの敬愛するスニーカーは?」

 

ピエールの答えはこうでした。

 

SPERRY TOP-SIDER(スペリー・トップサイダー)。」

 

答えは寺本の想像通り。

 

“たかがスニーカーされどスニーカー”

 

これが木型職人と12回のサンプル作成を経て、2009年・秋にリリースされるまでの奮闘記の始まりです。

 

寺本は日本に帰国後、自身の膨大なアーカイヴの中から珍しいBOAT SHOESを見つけます。

それは、紛れもない1944年製のアメリカ軍で支給されていた内羽式の茶色いキャンバススニーカーでした。

 

 


製造元は“US.RUBBER.CO

 

 

そして、インソールには“SPERRY TOP-SIDER SAFTY-SOLE PATENTED”と記されています

 

 

目指す完成形は、未使用(デッドストック)の状態で現存していました。

このサンプルを目指し、なんと8回の木型制作と12回の見本作成。

気の遠くなるような30か月、、、

 

そもそも、なぜピエールは寺本の問いに対して“SPERRY TOP-SIDER”と答えたのか。


その答えは、セレクトショップの基盤を作ったとも言われる店「GLOBE」にありました。

ピエールは60~70年代にこの「GLOBE」で”SPERRY SOLE”の”TOP-SIDER”を販売していたのです。

 

当時のSPERRY TOP-SIDERは全米で販売され、多種多様な人種に対応するべく、幅の広いものから狭いものまで、様々なウィズ(幅)を作り展開していました。

 


60~70年代のSPERRY TOP-SIDER

 


この年代には、「NARROW WISE」・「REGULAR WISE」・「WIDE WISE」と3種類のウィズ(幅)が存在しました(写真は寺本がWAKOUWA制作の参考にした様々なスタイルのTOP-SIDER

 

「どんな人でも快適な履き心地が得られるスニーカー」

 

これが寺本とピエールが目指したスニーカーの形でした。

今思うと、ピエールの考える現代の「SCIENTIFIC SHOE FITTING」に通ずるものがありますね。

 

44年製の雰囲気と60~70年代の哲学の融合を目指し、製作は続けられます。

 

次週は【EPISODEⅡ~命名~】と題しまして、“WAKOUWA”と名が付くまでをピエールの幼少期のエピソードと共にご紹介します。

 

ご期待下さい!

 

ANATOMICA TOKYO 高桑